中学校の三者面談でびっくりポンポン

はじめて、三者面談を経験した時
びっくり仰天したのが
先生に面と向かって、子供ではなく、私が座らされそうになったことだ

私,この子のオブザーバーできたのに
メインは、この子
私じゃない,

ヤバイここに座っては、親として勘違いする
高校進学のはじめての選択は、この子がすべきこと
親は、あくまでも後方支援に過ぎないのだ
ここに座ってはいけない

どうも、どうもと二ヘラしながら
先生の斜め前に陣取った
やれやれである

聞きたい事と、聞くべきことは、違う
子共が聞くべきことは、聞かないように
一様努力した
イライラする、血圧あがる

その結果、宿題しないのも、勉強しないのも
私の問題でわない
私に出来るのは、せいぜい、
寝てる耳もとで
あなたは、宿題したくなる、あなたは、勉強したくなると洗脳するぐらいだと悟りを開いた

びっくりポンポン
洗脳の甲斐あってか、
志望校に入ったのである

勿論、勘違いしないために面談の折は
斜め前を死守したことは、言うまでもない

引き続き高校でも死守している
可愛さ余ってが、命とりなのである

前2題に寄せて

これらを、クラス単位で話せたことは、
お互いにとって幸運だった

バラバラだったクラスの子供達が
シットリすると
ある教師からフィードバックをもらった
一人に話したところで
例え一時でも、しっとりするほどに、落ち着いたクラスには、なるまい

子供達は、わかっているのだ
これだけの事を理解するのだ
言葉に出来ないだけなのだ
その思いを言葉にさせることこそ教育であってほしい

感想を何度かもらったが、私が言ってないことまで
自分の人生に照らし合わせて
書いてくれるのだ
たどたどしいがリズムがある
自分の心をこじ開けて自分の思いにより近い言葉を編み出したのだろう

林竹二は、学力の差が消える授業があると自身で体現している
今なら頷ける

が私の力では、たかが知れている
人は、忘却の動物だ

だから、病を得て、やめると決めた時
自分の恥部さえ晒したこの文章を恥を忍んで
先生方にもらって頂いた

ある教師が言っていたと
子供は、子供でいさせたいと

小学生が自殺するんだ、いじめるんだ
虐待されるんだ、大人は、離婚するんだ 自分勝手なんだ

子供をつんぼさじきにおいておくほうが
私は、惨いと思った
困難は、寂しさは、成長するためのチャンスだと言ってやりたかった
例え、方便だとしても

あのレジメは、埃をかぶっているだろうか
自前のプログラムが創造されただろうか


いずれにしろ、私には、知る由もない


私の精一杯だった

もうすでに時代遅れのプログラムやも知れない


聾桟敷は、差別用語
しかし、子供の置かれている状況のイメージに一番近かった 他に言葉が見つからなかった


下記添付のにだいです

http://kakioki.hatenablog.com/entry/2017/03/15/110000


http://kakioki.hatenablog.com/entry/2017/03/14/110000

クラスでいじめに気づいた先生へ

絵本 ありがとうフォルカー先生

パトリシア ポラッコ 作

この本を読んだ後にクラスの子供達に伝えたこ
小5,6年生


これがトリシァの書いた本です
トリシァは、LD(学習障害)でした
昨年映画監督のスティーブン スピルバーグがLDであったと告白しました
他に俳優のトム クルーズもそうでした
学ぶことは、変わることです

私は、エリックが気になる
(トリシァをいじめていた)
エリックの苛立ち渇きが気になる
自身の中にエリックを見付けたら、
それは、理性を学び心を深くするチャンスです

ギリシャの哲学者アリストテレスは、
人間を人間とするものは、理性だ
と言いました

理性の話をする時、ドイツの心理学者ケラーの
実験がよく使われます
長い透明な金網の様なものが置いてあると思って下さい
両端は、あいています、飛び越えることは、できません

1歳3ヶ月の赤ちゃんは、網の向こうのどこに
食べ物を置いても、グルッと廻って食べることが出来ました
ニワトリは、ただ突進するだけ
犬は、食べ物を遠くヘ置いておくと、グルッと廻って食べることが出来るのですが
網のすぐそばに置くと、臭いや食べ物の姿に
食べたい、食べたい
という感情や衝動が、じゃまをして、網に突進してしまうのです

この実験で、理性とは、
目的を達成するために、廻り道をすればいいとわかった時、どんな困難や誘惑があろうともグルッと廻って目的を達成する力です

エリックにもどります
エリックは、自分の苛立ちや渇きをトリシァにただぶつけているだけに私には、見えます
まるで食べ物が食べられない犬と同じだと思いませんか

理性の第一歩は、その物、事、人に対して
それにふさわしい向き合い方は、何かと考えることです
決して自分にとって都合のいい向き合い方ではありません
それにふさわしい向き合い方は、何かと考える事です

私がエリックのように苛立ち渇きを抱えた時
その苛立ち渇きにふさわしい向きあい方は、
原因を言葉にする事でした

五年かかりました、
父にありのままの私を受け入れて欲しかった
愛して欲しかった
愛してもらうことは、かなわなかったけれど
子供を産み、この子も、私の幸も不幸も
父が生きたばこそとわかった時
父をゴロッと乗り越えることができました
憎まずにすみました


いじめ、虐待、リストカット、増えています
体罰という言葉もテレビから流れてきます

もし、我が子に対してふさわしい向き合い方は、
何かと頭をよぎったら、我が子を傷つけずに死なせずにすんだかも知れない

もし、自分の心に対してふさわしい向き合い方はは、何かと思いめぐらせることが出来たら
誰かをいじめることなく新しい自分に出会えたかもしれない

もし、自分の心に対してふさわしい向き合い方は、何かと思いめぐらせることが出来たら、
いじめられて自分を嫌いになったり
自殺をしないですんだかもしれない
自分を傷つけずにすんだかも知れない

生徒に未来をになう人間に対してふさわしい向き合い方は何かと思い当たっていたら
子供の自尊心を傷つけずに死なせずに
一人一人が自立した、もっと深いバスケットボール
が創造出来たかもしれない
(2013年大阪の高校で未来を担う学生が自殺に追い込まれた)

確かに日本は、ある時期、人々の感情や衝動を煽って、物を買わせ世の中を廻していた時代がある

確かに日本には、人々の感情や衝動を煽って戦争に導いた時代があった

でも、もう感情や衝動では、幸せにはなれない
感情や衝動では、次の世代に何も伝えられない

政治学、経済学、教育学、医学、物理学
学問だけではたりない
理性に裏打ちされた学問こそが世の中を変え
人々を幸せに導くのです

理性に裏打ちされた人生こそが自分を相手を幸せにするのです

人間が人間となるための理性の学びを手放さないで下さい

私は、大人として原子力発電所の事故を恥ずかしく思っています
皆さんに未来に申しわけなく思っています

日本が、この数々の苦難を乗り越えた時
理性の国であることを、大人の国となることを
望みます


それは、まさに皆様の双肩にかかっています


もし理性の学びにつまづいたら、
その事、物、人に対してそれにふさわしい向き合い方がわからなくなったら
前にはなした
(なきすぎてはいけない)
http://kakioki.hatenablog.com/entry/2017/03/14/110000
自分の命が大切だと覚悟しているか、わかっているか、立ち止まって確かめて下さい
自分の命が大切だとわかっていることこそが
理性の学びの土台になると、私は、信じています

先の戦争の悲惨を実感を持って語れる人間は、やがていなくなります、五十才の私ですら、戦争を知らない

その私達ができる本物の非戦の、平和の運動は、
自分の命が大切だと覚悟していることだと思います
何故なら
自分の命が大切だとわかっている人には、
相手の命の重さがわかってしまうから
自分の命が大切だとわかっている人間には、人は、殺せないから

私の言っていることが本当だとは、かぎりません
考えて下さい、哲学して下さい
幸せになって下さい

死ぬなと子供に伝えるために 先生へ

絵本 なきすぎては いけない
内田 麟太郎 作

を、読んだあとにクラスの子供達に伝えたこと小5,6年生


あなたの、お父さん、お母さんで二人
おじいちゃん、おばあちゃんで四人
その両親で八人と数えていくと
十代前で千二百十四人、二十代前で百万人
を越える人々から受け継いだ
あなたの、命のバトンです

地球には、46億年の歴史があるのです
地球に命が生まれ、そこから途切れることなく
あなたにつながれた命のバトンです

無限の命の物語の中には、
自分の命と引き換えに我が子に命をつないだおかあさんもいたでしょう
我が子に、会いたいと願いながら死んでいったお父さんもいたでしょう
我が子を、受け入れられなかったお父さんがいたかもしれない
自分が愛された実感を持てなかったために、我が子の愛しかたがわからなかったお母さんがいたかもしれない
平凡に一生懸命、我が子の成長と向き合ったお父さん、お母さんの物語も たくさんあったはずです

あなたを支えている無限の命の物語は、ほとんどが終っている
数限りない変わることのない確かな命の物語に支えられているあなたの命です

気付いて下さい
一緒に生きた、生きている 人々だけに支えられている命では、ありません
終わった物語は、変わらない
数限りない変わらない命の物語に支えられたあなたの命だから
あなたの命の重さは、変わらない、微動だにしない

大好きなおじいちゃんが亡くなっても
お母さんに、叱られても
いじめられて、自尊心がずたずたになっても
誰かをいじめて、自分が信じられなくなっても
傷つくのは、心です
悲しいのは、苦しいのは、心です
命では、ありません
苦しいのを、悲しいのを命のせいにしないで下さい
あなたの命は、一人の命であって、一人だけの命では、ありません

俺を勝手に生みやがって と母親に言っている
中学生がいました
彼は、産まれてこなければと思えるほどに、心が
苦しかったのです

苦しみかたがあります
苦しみ悲しみと、戦っては、いけない、追っては、いけない、
ただ、苦しいと、悲しいと、味わいきればいい
味わいきれば消える
戦うということは、苦しんでないと自分に嘘をついたり、誰かに八つ当たりすること
彼は、母親と命に八つ当たりした

追うということは
、あの時のあの事が、お母さんが、友達がと
思いを廻らせること

戦えば苛立ちは、深くなる、
追えば追い続けるかぎり、苦しみは、続く

戦うと追うと、誰かのせいにしたくなる
誰かが変わらなければ、自分の人生踏み出せなくなる
自分が変われば、一歩を踏み出せるというところに立っている必要があります

命のせいにしなければ、彼は 苦しいよ助けて
と本心を言えてかもしれない

命は、疑うものでは、ありません
ただひたすらに引き受けるしかないものだと思います

自分の命を大切に思えない、引き受けられないと
思っているのなら
黒い楕円形を想像してみて下さい
これは、あなたの心です
その真ん中に、誰がなんと言おうとも、自分の命が大切だ、引き受けたと白い線を引いて下さい
覚悟して下さい、決めればもどれる

自分の命が大切だと覚悟することこそが
自分以外の命と関わる時の核となります
一番大切なこととなります
色々なことを判断する上での確かな道しるべとなります

自分の命が大切だと思えばこそ、相手の命の重さがわかるのです
自分の命など、どうでもいいと思っている人が、
相手の命を大切にできると思いますか

食物のほとんどは、命です
食物となった命のおかげで私達は、生かされています
自分の命が大切だからこそ、ごちそうさまに感謝がやどるのです
自分の命など、どうでもいい人が食物に感謝出来ると思いますか


自分が大切にされていない、守られていないと
思っているかもしれない
でも、皆さんは、確かに守られています
インフルエンザウイルスもがん細胞も命です
一息吸えば、何千何万というウイルスや細菌が体の中に入ります、それを免疫力で、具体的には、
白血球が殺しているから、毎日病気にならずにすんでいるのです

命って簡単ではない、考えて下さい、哲学して下さい


誰かのせいにして、うっぷんを晴らしている自分を見付けたら、苦しさを命のせいにしたくなったら
命のバトンを引き受けたという真実の上に立っているかどうか立ち止まって確かめて下さい


肌にそよぐ風、聞こえる声、臭い、見えている風景
チョコの甘さ、怒り、喜び、遊ぶこと、学ぶこと、
あなたのすべての世界が、今まさに命のバトンを握って生きている証です

今、幸せでない人は、必ず幸せになって下さい
お母さんの、お父さんの、今の苦しみの
自分の人生における意味が、幸せを実感できた時
よりわかるはずです

つないでくれた命があったればこその、あなたの幸せです
すべての世界です

私達は、今まさに生まれて死ぬまでのたった一度だけの命の時間を生きています

みなさんは、いえ
あなたは、どう生きますか


合わせて読んでいただけるとありがたい

http://kakioki.hatenablog.com/entry/2017/03/16/110000


http://kakioki.hatenablog.com/entry/2017/03/15/110000


http://kakioki.hatenablog.com/entry/2017/03/13/110000

生理的欲求、安全欲求が満たされない子にとって
寝言にも劣る
それでも一筋の藁になれたらと祈る思いで言葉を重ねました

オリンピックなて言ってる場合だろうか

クラスの子供達が美しくなるとき

読み聞かせが終わって廊下に出たとき
次は、教頭かと思われる先生に声を掛けられた
どうやら、聞いていたらしい

よく暗記できますねと
絵本を読み終わったあとに、プログラムをしていた
その事だ

褒め言葉だったらしいのだが

口から出任せですよと返した

ある意味とても正直なところなのだが
解ってはもらえまいと思った
その先生に暗記と思われた段階で私の負けなのだ

その時点で、暗記の垂れ流しでは、足りないことに気が付いていたのだ
慣れて来ると、それを話すんだ、と言う動機ずけが脆弱になる
すると、伝わらなくなってくる
子供の感度は、容赦がない

どんなに、滑らかに話せたとしても
一言一言自分の府に落として行かないと
伝わらない
感情を込めても意味がない
府に落として発する言葉には、どんなに、詰まろうが、待ってくれる
一緒にハラハラしたりしてくれる
府に落ちる言葉がでた瞬間ホッと
息をついてもらったこともある
厳しいがやさしい
そんなとき、子供は、美しくなる

あえて、言葉を簡単にはしなかった
伝わる、伝わらないは、言葉の容易さではない
自分の思いにより近い言葉を選び出すのがいいと思っている

密かに、七転八倒した、

モチベーションを保つために、本を読みあさり
美術館にも足をはこんだ
6年続けた
本当に美しくなった子供に2回会えた

この時間に、これを伝えるんだと言う覚悟は、必要だ

それについて府に落としておけばなんとかなる
いや、なんとかなた

勿論、これが正しいとは、限らない

妥協のない、関係性のなかで美しくなっていく子供達
感動する大切な、時間をもらった

塾の先生、ピアノの先生、水泳コーチ
ごまんといる教え授ける
上から目線の大人では、なく
ただのおばちゃんとして、読み聞かせに参加できたことを幸せに思う

読み聞かせと言う言い方 は、余り好きではない

一方通行ではない、対話が成立する可能性を知ってしまったからだ

病が進み、この楽しみを手放したが
レジメを先生がたにもらっていただいた
子供が美しくなるような授業を
子供達に、と祈りを込めて

今ごろ、自前のプログラムができているといいな

それは、私とは別の物語、しるよしもない

この時のプログラムは、前に載せた
小学校三年生に伝えたこと だ
http://kakioki.hatenablog.com/entry/2017/02/27/144511


他にこのブログに載せたプログラム


だいじだいじでピカピカ光る子供たち

http://kakioki.hatenablog.com/entry/2017/03/03/111600

死ぬなと子供に伝えるために 先生へ
http://kakioki.hatenablog.com/entry/2017/03/14/110000


クラスでいじめに気づいた 先生へ
http://kakioki.hatenablog.com/entry/2017/03/15/110000

腑に落ちるなら、どう料理してもらてもかまわない
そのままでもいい
クラスでしてみては、如何か

その前に
いじめを無くすためにするべきこと
読んでいただけるとありがたい
http://kakioki.hatenablog.com/entry/2017/03/23/110000

荒れたクラスでする時は
先生わかってを読んでもらうと一助になりやもしれない

http://kakioki.hatenablog.com/entry/2017/03/12/110000

先生わかって

小学校で読み聞かせをしていた時のこと

クラスは、荒れていた、
先生は、いなかった
この手のクラスの先生は、いないほうがありがたい
苦しんでいる場合が多いからだ

友達の髪を結っている子がいた
随分挑戦的だなと思ったが
実は、分かりやすくてありがたい
解りやすい子は、おおうにして正義感のあるいい子なのだ、なにか、主張がある

教師に焦れていると当たりをつけた
そうとわかれば
その子の指示をあおげばいい

間合いが大事だ、しばらく子供を眺めていた

この時にクラスの一員ですと如是と眺めるのがコツ

髪が結び上がるタイミングで どうする? と
彼女に聞いた、はじめていいよ、と言われた

如是といたのは、この気安い言葉をもらうためだ
ここに、遅刻して来た男の子降臨 救世主だ

ガヤガヤが大きくなった
そこで彼女にどうすると、問うと

てきぱきと、交通整理をしてくれた
それをさかいに、彼女が指示したことで
話を聞く事が、聞かされるのでは、なく
聞かねばならぬと、彼女自身の問題になった
整った

あっという間の出来事だが私の発した二言の間に

このようなやり取りがあった

よく集中した、彼女は、口をぽかんとあけて聞いてくれた 可愛かった
美しい光景だった

かなり騒がしいクラスだったようで
とちゅで、養護の先生が派遣されてきた
案の定、私と子供たちのコミュニケーションが見えていない
一方的に私が喋ってるのでは、ない
喋っていることを自身の問題として胸におとしているのだ
それを、美しい姿で、わかった、受けと取ったと
私に返してくれているのだ

最後に、その養護教諭
静かに話が聞けてえらかったと言いはなった
子供達を評価しやがった
彼等に対して失礼きわまりない
私は、教師では、無い
つまらない、読み聞かせを静かに聞いてもらう必要は、無い
何故この言葉が悲しいのか
自分の言葉で言い直して見てほしい

評価をするのが教師では、ない
子供と供に生きるのが先生であって欲しい

評価をすることに慣れてしまうと
自分の弱さを繕うためにより高圧てきになりやすい

子供は弱い

自らを由とすることで自由な眼差しをもって子供達を照らして欲しい

この日話したプログラムをのせる
http://kakioki.hatenablog.com/entry/2017/03/14/110000

3月11日

3月11日
絆と言う言葉に、違和感を、持ている
文明を持った人間でさえ自然のいとなみの前では
アリンコのように無力だった


人間の弱さを引き受けるためにも、祈りから始めるべき復興だったのではないか
人間が、何とかすれば何とかなる震災では、なかった

文明の力である原発のあの無残なありさ
絆と言う言葉には人間のおごりを感じる


原発いじめが、無関係ではない気がするのは、
わたしだけでろうか