いじめを無くすためにするべきこと

子供に
何故学校に行かなければならないのか
と聞かれた時
私は、
心は、人の心でしかうつせない
学校には、あなたの心をうつしだすたくさんの心の鏡があるから
もう、親の心だけでは足りない
と答えた
その鏡が、曇っている可能性を薄々感じながら……


子供にとって学校は、学びの場所なのであろうか
本当の学びの場所なら苦しくも楽しい場所であるはずだ

もし、チンプンカンプンの授業を6時間聞かされ続けたら…
学びが生徒自身の問題に落とし込まれない
やらされているというモチベーションだったら

静かに座っている苦痛を想像出来るだろうか

無気力になりはしないか
退屈の暇つぶしに、いじめは、おきないだろうか
荒れもするだろう

学校に学問がないのだ、
子供達が未来を生きるための問題提起がないのだ

学ぶことは、変わることだ

学校からいじめを減らすためにすべきことは、
授業の充実だ
深い面白い授業の創造だ
年に2回学力の差が消える授業ができたら
いじめは、減る
いじめる暇が無くなるのだ、思考がはじまる

いじめをしている事すら気づけない心のままでは

効率を錦の御旗に、電脳に人間の幸せを売り渡しかねない

自分さえ良ければいい心を、
成長のベクトルに乗せなければ、

電脳を、文明の力を、人間のための道具に留置くことは、出来ない

ペットしか愛せなくなる


教師の業務を授業に特化する必要がある
そのためには、ゆとりのある時間を保証する必要がある
教師とは、それほどに、創造を有する仕事なのだ
学校は、学問によってこそ子供達を救う場所なのだ

教育に未来にお金の手当てが急務だ

いじめをやめさせるだけでは足りない
心の成長を目指す必要がある

もし、私のプログラムが腑に落ちるのなら
いかようにでも料理してもらっていい
そのままでもいい
やって見ては、如何か

例え上手くいかなかったとしても
感想を書きたい子には、書いてもらうといい
想いもかけない子が、思いも寄らない学びをしている可能性がある


学問とは、学び、問う、と書くのだ
問てみたい疑問が、何故が、学びを牽引する

学校での学問の創造こそがいじめへの確かな処方箋となる

曇っているかもしれぬ心の鏡が磨かれ光り出す時
コミ障なる言葉は、死語となる


下のブログの中にプログラムをリスクしてあります
http://kakioki.hatenablog.com/entry/2017/03/13/110000