差別用語が持つ未来への戒め

津軽三味線の初代高橋竹山は、三味線を
べチン、べチンたたかない
コロコロ鳴らしていく

竹山に出会うまでの
べチン、べチンと泥臭い威圧的な津軽三味線は、
苦手だった
高橋竹山は、津軽三味線
芸から芸術に高めたと思っている
世界で津軽三味線で活躍している奏者は、三味線をたたかない
高橋竹山がパイオニア

脂の乗り切った時期も聞いている
躰が引き絞られる様な迫力に酔いしれたが

晩年、ボロボロの芸で舞台に立ち続けた
姿が忘れられない

曲と曲の間の津軽の言葉での話がまた秀悦だった
戦争の時は、盲目の為に
戦場にも行けない役立たずと辛い目にあった話
親方の元での修行の話、門付の話
軽妙な語り口が恨み節を芸に昇華させる

乞食坊主と言われながら門付で研いた芸なのだ

津軽三味線を世界に通用する芸術まで引き上げた
高橋竹山
ボロボロの芸でも尚舞台に立ち続けた姿に
門付をしていた盲目の乞食坊主としての意気地を
死にざまを見せ付けられた思いがした


差別用語は、正に差別をしてきたこの国の証なのだ
差別がある以上、忘却して済むほど簡単な話ではない

差別する側が痛みを持って、差別用語と関わる時
忘却への一歩が踏み出される

使うなでは、たりない