千葉で小三の女の子が殺されてしまった

千葉での保護者会会長が容疑者となった事件
善意のボランティアに足踏みをする人々が
いるに違いない

子供の人間関係を急速に狭めた可能性もある

おはようのおかえりの声を
掛けずらくなりは、しないか

子供が 挨拶を返すのを、ためらいは、しないか

疑心暗鬼である


困った時我が子は、見守りパトロールの方に
何度か救われた
小一の時、うまく絞れていない
重い重い水泳バックを見かねて、
家まで運んでもらたことがある
ありがたかった
あの人いい人だね、と言った我が子の心が
嬉しかった


途中でトイレを借りてもらった子もいる

とくに一年生にとって強い味方なのだ

一事が万事と萎縮することは、

人間関係を脆弱にする



地域社会の脆弱によって

保護者会会長に容疑者が選ばれた可能性は、ないか

考察の必要がある

いずれにせよ

自分勝手な変質者の存在は、紛れも無い事実である

そのためにたじろいではいけない


大切な地域の営みなのだ

さあ、ねばらねば




異国の地で 、私の国で殺されたリンさんに

ご両親に申し訳なく、恥ずかしく、

許しをこう言葉すら見つからない

ただただリンさんの御冥福をお祈るしか手だてがない

怖かったよね、痛かったよね、寒かったよね、

日本の大人としてごめんなさい

こうゆう時、せめて天国があってくれと、

願う私がいる

日本の大人には、想像力が足りない

借りものの想像力では、たりない

絵本の可能性

はせがわくん きらいや 長谷川集平

と出会うまで、

絵は言葉のイメージであり

言葉は、絵の説明だと思っていた

文学作品を読んでイメージを立ち上がらせるための

はじめの一歩だと、思っていた

だから絵は絵として味わい

美しい文章は、文章として

別々に味わう事が多かった

でも、この絵本の最後のページは、違った

衝撃だった


はせがわくんなんかきらいや
大だいだいだい
だあいきらい

という文章に

大嫌いと言っている、
男の子が責任感さえやどる顔で
同級生のべそをかいてバットを持った
はせがわくんをおぶって歩いてゆく絵なのだ

このページは、この絵で この文章でなければ

伝わらない

絵だけでも、文章だけでも駄目なのだ

新しい絵本の可能性を見た

この男の子の思いがせまってくる

年だろうか、このページには、泣かされる

このこ達の、前頭前葉は、強く豊かに

育まれているに違いない

戦争が無くならないわけ

人間に好きという感情があるから、
戦争が無くならない
タモリさんが言ったそうだ

では、金正恩は、何が好きなんだろう
人民、北朝鮮、家族、家、自分
どれも腑に落ちない

少なくとも式典に出てきた人は、変え玉に違いない

この状況であれほどに屈託なく笑えるはずが無い

もし、本人なら戦慄を覚える



彼は、幸せなのだろうか

国のトップは、幸福でなければならない

少なくとも幸せを知っている必要がある



幸福と欲望の満足は、似て非なるものだ

幸福が分からない者に

市井の人々のささやかな幸せの時を

選び取れるはずも無い

欲望に幸福の可能性を売り渡してはいけない

好き以前の問題かもしれない



心底美しいと心動かされた思い出を抱いていきてい

る人なのだろうか

不安でならない

ルール

ルールは、人間のためにある

ダウンしょうの子供が1年入学を遅らせれば

より、学ぶにふさわしい力が身につく

成長がゆっくりなのだ

母親が何度行政に掛け合っても認められなかった

現場も本人も親も苦しむとわかっていて


現場は、見放せばいいが、本人と親にとっては、

人生に関わる

受け入れられなかた理由は、ルールだ

教育に対する目的が曖昧だから

ルールに翻弄される


フィンランドの教育の目的は、明確だ

国家を支える自立、自律した人間の育成だ

国家のありょうに自身の考えを有する国民だ

フィンランドには、不登校も塾もない

人口の少ない国家にとって不登校は、国家の存続に

関わるのだ

差別が無いわけではない

港のバザールで初めて流浪の民と出あった

しかし、個の確立が成っているから

対応が偏らない

それが、世間の風とうしの良さに関わる

驚くことに

学校での年月をへるに従って

しょうがいが気にならなくなるとのことだ

国の助けを必要とする障がい者は、

国民の2パ-セントにすぎない

ルールは、人間のためにある

出会って

元気かな、時々思い出す
大学一年生の太一に出会ったのは、
一番しんどい時期に夜中のおにぎり製造のバイトで
だった、車椅子に乗っていた

今でも忘れられない

僕の障害は、見ればわかる
あんたのは、いくら苦しんでいても、
わからないから
同情も偏見もあったもんじゃない
僕は
障害がある様に生きればいいけど

しんどいのに
平気な振りして生きるの大変そうだね
と言われて親切にしてもらった

なにも言っていないのに、ずぼしだった

彼と出会ったことで障害を抱えた人への意識が変わった

手伝う時に遠慮が無くなくなった
いい奴だった


元気かな

子供の心を代弁することとの出会い

苦い、苦い懺悔である

我が子は、
歯磨きというと逃げ回り
泣くわ、蹴飛ばすわ、口を開かないわ

案の定虫歯にしてしまった 責任を感じた
年寄りは、食べものを口移しにするのだ
ストレスは、マックスだった

また歯科医に連れていくのも一苦労で
自分の中でプチット音がした

感情で怒鳴り責めてしまった
我が子は、自分を閉ざした

その時出会ったのが抱っこ方だ
お母さん仲間で経験者がいて知っていた
本を借りて読んでもいたのだ

嫌がる我が子を抱きしめた
あらがう力と同じ力で押し返し拮抗させ
自分を消し、我が子の思いを代弁する

歯医者さん嫌だよね、怒鳴ってるお母さん怖かったよねごめん、解ってもらえなかたんだよね

必死だったので今となっては、何を言ったかあまり覚えていない

心が開くと子供の力が抜けて泣き出す
感情の解放だ
後は、抱いたまま泣き切らせればいい

我が子に何時もの笑顔が戻った
ホッとした

子供の心を代弁する癖がついた
やってみると、なんと大人の理不尽さよ

我が子は、私にとって都合のいい子ではない
生命力に溢れている理由でもない

大人の理不尽を突き抜ける必要があったのかもしれないが 後の祭りである


思春期を迎え、内向的にあらがっている
開き直る日は開放の時は、待ちかねている

もはや、見ているしか手がない

言葉を持った個人なのだ
代弁をしては、いけない
抱っこ方は、すでに意味がない

言葉を持った一個人なのだ

本当のやさしさ

留年を日本では、どう考えるだろうか
義務教育では、まずない
ところてん式だ

日本でいう義務教育は、六年間、三年間
学びの時間を保証することだ

しかし、
国家が国民にこれだけの学びの到達を保証する
とコミットしている国がある

だから留年を恥じとは、とらえない
親も子も周りも
留年を学びの到達のための当然の
権利ととらえるのだ

どちらが、子供にとって、やさしいか


林竹二は、子供に質問をして、答えがでるまで
一緒に探り続ける、立たせ続ける

一見残酷に見えるその行為を
子供は、最後まで自分を見放さなかった
やさしい対応ととらえる
普段教室でお客様のように授業について行けない
子供がだ
もの言わぬ観客でいることを良しとしていない証拠だ
子供は、解りたいのだ、学びたいのだ
それを諦めさせ続けてきた
これでは、自己肯定感が聞いてあきれる

自己肯定感を担保したいのなら
学びの時間の保証から
学びの到達への保証に移行する必要がある
学びの到達へのチャンスが留年なのだ
しかし、いくら学びの到達を保証するからといって
限度はあるが


教師を育てるシステムがすごい
現場で徹底的にためされるのだ
日々サポーターとして子供と向き合う

その土台があってこそ

学び方を教えるのだから、
格差がうまれようはずもない
と言いきれるのだ

学校で担任が当たりだハズレだと良く耳にした
現実に当たりハズレが歴然とある

何故か、
情報処理能力では、多様な子供への対応に
無理があるのだ

子供へのやさしさが問われる

フィンランドでの驚きだ
牛乳のおいしさと思考の木との出会いと共に