感動と部活でのシゴキの関係性

感動は、人に


感動をもたらした

その事、その人、そのものへ

信用を与え、

時には、その時の手法が信念となる

多くの場合

日本における部活で

熱血と褒めそやされる指導者には、

感動、達成感に裏打ちされた信念が横たわる



ゆえに

シゴキ、体罰、罵倒されて

感動、達成感を得た指導者に

なぜシゴキ、体罰、罵倒指導に限界があるのかを

納得させる必要がある

そうしなければ部活でのシゴキも体罰

無くならない

軍隊教育の名残である

世代間連鎖である

黙ってお国の言うことを聞けが

教育現場でいまだに

黙って俺に(指導者)についてこいと

引き継がれている



怒鳴る指導は、子供から思考を奪う

怒鳴られないように努力し己が縮む


ゆえに

怒鳴っている指導者以上のチ-ム

選手は、育たない


シゴキも対罰も同じだ

己が考え対応出来るチ-ムは、選手は、

指導者の思考をも超える

シゴキなど遥かに超える技術の進歩の加速が望める

指導者に都合の良い選手を育ってるのと

シゴキや罵倒の指導は、同義なのだ

仮に、そこで子供が感動を得て指導者となったら

軍隊教育が、子供の思考を止める指導が

連面と続く

アクティブラーニング

唇寒しである

部活とは、己の思考を磨き勝利を目指す

場であって欲しい

己の思考があれば

己の思考を体現する経験は、

勝たずとも、人生においてものをいう

就職出来なかったら人生終わりとは、ならずに済む

ここでも世代間連鎖を断ち切る必要がある

部活も部員も監督コ-チの私物ではない




感動は、厄介だ

運動会での組体操も

親や教師に感動をもたらす演目なのであろう

何千人という子供が骨折をし、障害を抱え

死にまでいたる演目なのだ

それを止められない

集団での感動の共有は、

時として大人の理性を鈍らせ

対応を遅らせ

子供を教育の現場で死に至らしめる

大人にこそ思考の訓練がいる


感動することで生かされた自分が確かにいる

感動が生きる動機になる

感動 劇薬であるが故 簡単では、ない



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今こそ考えたい教育論 スパルタVS自主


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