アクティブラーニング
能動的学習
そんなに簡単に行こう出来るのだろうか
まず、教師の自由な時間の確保
意識の変革
資金の手当て
スキルの向上
アクティブラーニングに比べてまだやり安かったであろう、ゆとり教育を諦めた国なのだ
ゆとり教育からのアクティブラーニングへの移行
ならまだ頷ける
お題目だけで、抜本的な方策が抜け続けた教育改革だ
お題目では、改革は、ならない
教師のコミットメント無くしては改悪で終わる
私は、ゆとり教育を支持していた
もちろん、三浦朱門の言った
99パ-セントのもの言わぬ国民と
1パ-セントのエリートを育てるために必要だと
とは、サラサラ思っていない
先見性の無い古いエリートの寝言程度としか思えない
ゆとり教育のおかげで
色々な角度から人間を知る機会をえられた子供も、いたはずだ
アメリカからの圧力があったという話もきく
考え、自立した日本国民の創造を
良しとしなかったのだろう
ひかりはたもち という写真集がある
正にアクティブラーニングをそれに見る
二、三十年前の林竹二に流れを汲む人々の仕事だが
この写真集に、教師の意識改革の困難をも観る
教師の思考は、あまり変わっていないようにも思える
学校の主役は、子供なのだ
教育は、変革の時をむかえて 、成熟社会となって
はや行く年月か
未だなっていない
教育改革は、正に人を育ってることなのだ
一夜にしてなろうはずもない
今、理性こそが問われているのだ
道徳教育、教育勅語、
権力は、もの言わぬ国民を望んでいるのではと
疑念がよぎる
アクティブラーニングよりはるかにたやすい
今ままでどうり
いじめは、いけませんとスローガンを掲げて、
~であるべきだと考えることを諦めさせればいい
大人も考える必要がない
しかし、
大人の意識が変われば
アクティブラーニング
できない話ではない
人間次第である
一人でもたくさんの教師に
美しい子供と出会って欲しい
プログラムいくらでも使っていい
手遅れになる前に