宅間守 池田小事件 17年前の6月8日10時

宅間守 逮捕から時を待たず死刑となった

池田小学校で包丁で子供達に切りつけ

1年生1人 2年生7人が殺され

児童13人 教師2人がきずを負わされた

一人一人名前があり親があり物語が未来が

あった

宅間守は、自分が奪った命の営みを

想像することもなく

ましてや悔いることもなく刑が執行された

私は、この男の生い立ちをしってから

宅間守という名前が

性善説は、真実か?という問とともに

頭の隅にある

父親からは、もの心つかないうちからの暴力

母親は、ネグレクト

もし、この親から引き離す事ができていたら

8人もの未来を失わずにすんだのか?

母親は、お腹にこの男をやどしながら

この子は、あかんおろすと言ったとか

生まれながらの性悪か、

この男の父親がこの事件後

テレビのインタビューに答えて

平然と自分とは関係ないというようなことを

いい放っていた

この男は、親にょって絶望の果て

人間になれなかった

非社会的な行動は、奇しくも人間になりたい

という叫びでは、なかったか


日本社会の責任として

殺された8人の子供へのせめてもの冥福をいのる

証として

宅間守この男には、8人の命を奪った事への

後悔と懺悔の地獄をこの世であじわってから

せめて人間のかけらを手に入れてからの

死刑であるべきではなかったか

彼にとって死は

罰では無く救いだった可能性は、高い

この男の受けるべき罰は、

人間になるための学びだったのかもしれない

その先にある苦しみこそ

この男が担うべきもっとも苦しい罰ではないか

この男の

8人の命を奪ったことたいする懺悔は永久にない

自分の命を大切に思えない人間は

相手の命の重みなど分かりようはずもない

宅間守にとって死刑は罪に対する罰ではない


日本社会における非社会的人間の抹殺であった