座間市の事件に思う事

自殺助長をTwitterが禁止した


犯人との出会いは、自殺をしたいと書き込んだ

Twitterの中にあった


人が生きる意味は、引き受ける事だ

まず、自分の命を引き受ける

引き受けすして、何もはじまらない

引き受けたいものを引き受ける

引き受けるべきものを引き受ける


誰かが引き受けてくれれば親でさえ変わりは、

ある

無くてはならない人はいない

それは、いてくれると有難い人である

子供を無くしても子供を育てることは、できる

仕事に至っては、電脳、ロボットに置き変わる

私は、介護で一人はおくれたが

姑の介護を引き受けられなかった

それでも、姑は、私より元気だ


正義の為に、幸福を得る為に

引き受けた命で何を引き受けるか


将来の夢や希望、

大人に騙されては、いけない

わからなくて当然

大企業が傾き思いもよらない事が仕事になる

仕事、なりわいの概念が変わる





自殺をしたいとツイートする前に

何かを引き受けてみる

落ちてるゴミを引き受けてみる

植木鉢の命を引き受けてみる

気になる人に声をかけて相手の気持ちを引き受ける

上司の愚痴を引き受ける

嫌な仕事を引き受ける

引き受けると 声に出すと主体になれる

引き受ける事で、

人、物、家族、仕事、趣味、貧乏、困難、喜び

悲しみ、病い、

人生におけるありとあらゆるものを

引き受け自分の人生に巻き込むことこそが

私にとっての生きる意味だった


引き受け無い選択は、確かにある

そのことこそが自分の人生を生きた証だ

引き受けるという事は、

自分自身に相手に世の中に何かを与える事

それが生きる意味だと思う



犯人は、自殺したいとツイートした子の

命を絶つ事を引き受けた・・・・・・・・・

そこに、本物のコミュニケーションは、介在したか

もし、介在していたとしたら


もし、最初の逮捕がなかったら・・・・・・



70数年平和を生きたこの国で

この事件に

社会的病理を感じるのは、私だけであろうか


高度成長期の企業の歯車になる

優秀な指示待ち族育成教育を

いまだに引きずる文科相の罪は、重い


大多数の若者が教育で飼い慣らされた心を抱えて

生きる意味という問の前で

途方に暮れている


無理もない

グローバル社会と言われて久しい

セルフマネージメントを要求される時代に

自毛が薄いから染めろと高校生に要求する教師

時代錯誤も極まれり

全てが繋がる

大人の責任である

大人にとって都合の良い子では、

将来が危ういのに

人間を肯定的にとらえる力は、いっそう

必要なのだ

酷な話である

中学、高校、大学と進むに付け

子供達の輝きが失せるのは、

必然なのだろうか