福岡市 教師に暴行生徒逮捕 縮む心

yotubeでの動画が惨たらしい

まるで晒し者だ

顔、氏名、親の職業、彼女まで暴く

社会的制裁?

何の権利があって

理性が足りない

日本人の劣化もここに極まれりだ


私は、中学、高校で受けた授業を面白い

と思って受けたことがない

退屈で、生きるに必要とも思えなかった

大人しく聞いているふりをすることは、

拷問に近い


一年に1時間でいい、圧倒的に面白い授業が

受けられたら

クラスの雰囲気は、変わったはずだ

林竹二が実践した

学力を超える授業の創造が急務だ

学ぶことは、変わる事だ

教師になる学びの中で

確かな学力を超える授業という武器を

掴んでから現場に立たせるべきだ


若い教師の心の傷が気になる

教師に暴行をはたらいた高校生の幼さに

哀れさえ感じる

社会性が育って無い

授業を信じてない

タブレットで動画を見ることの方が

教師の生のライブ授業よりも意味があると


当たり前だと思う人も多かろう

なら上手い教師にIT授業してもらえばいい

ライブで生で授業をする意味を教育界は、

明確に提示する必要がある

私は、意味があると思っている

授業力の強化、予備校の授業は、確かに面白い

が、それとは、別の意味を必要とする


今回の件は、教育的コミュニケーションの余地が

あったと思う

その可能性を手放したのは、情報環境と

学校の教師の隠蔽体質にある

情報開示に信用があれば現場の裁量は担保

されたはずだ

子供の幼い失敗すら処理出来なくなったことと

生のライブ授業に魅力が無いとしたら

根底に流れるものは、同じだ






副学長が道徳強化を言っていた

その前に

何かがあると信じられる授業を与えて

やって欲しい

学びは、本来楽しく心が満たされるものなのだ



暴力教師がいかに守られているか

暴行高校生がいかに守られてないか

如実にあらわになった

今回の情報の出方が直情敵すぎて

気持ち悪い


理性の足りない人々にとって彼を吊るしものに

するのは、楽しいのかもしれない

でも教育の場で起こった事で

彼が、学校を恨み、世の中を恨み

人間を信じられなくなったとしたら

あえて書く、こんな事で

反社会的思考が芽生えたら

この世の中に不幸が増える

世の中が不穏当になる

その現場にいた生徒

個人情報まで晒される有様を目にした人々

知らぬうちに、日本人の心が縮む

理性的な対応を祈る

デカイ暴力的な赤ちゃんに学びという救いを祈る