日野皓正のビンタに思う

日野皓正は、世界的トランペッターだ

パホ-マ-なのだ


本番舞台の上

プロとして聴衆を

自らの手で不快にしては、ならない


日野皓正という築き上げた

ジャズマンとしての信用が泣く

教育者である必要はない

本物のプレ-ヤに子供達が触れる事に意味がある

子供の暴走を日野皓正という

存在を掛けて止めてやる必要は、ない

彼の守るべき一義は、プロ日野皓正自身だ

日野皓正のトランペットで感動したい聴衆だ


子供に優しすぎる

黙って、終わるまで観ていてやればいい

崩壊したら

客席に自分のスピリッツが子供たちに

伝わらなかったと

謝ればいい

それがプロのジャズマンの対応であり 見識だ



その後に、子供たちに声をかける必要は、ない

舞台を台無しにした子供達に

プロとして無言で怒ればいい

子供たちに思考が始まる


時をおいてプロのジャズマンの慈悲で

演奏を練習室で聞いてやればすむ



人は、一人だ子供と言えど変わらない

だからこそ

未来があればこそ本物として

同じ感情の土俵に上がってやっては、いけない


自分の出した音の顛末は、本人が全て

背負うべきなのだ

その上にセッションが成り立つ

音がプレーヤーが自律している必要がある


聴衆を満足させられないプレーヤーの自己満足は、

音楽とは言わない音苦だ

それこそ暴力なのである


自律したプレーヤーが

自分以外のプレーヤーに

聴衆に何を差し出すのか

陶酔のそこに理性が宿るからこそ

感動をよぶ


音、人間の一挙手一投足、息吹すら

迫り来る

音楽が聞きたい


暴力で未来を甘やかしては、いけない

暴力で子供の思考を止めるべきではない


暴力で日野皓正の存在が音への尊敬が

歪むのは、許せない

一度も聞いたことの無い人々によって