本当のこと

小学5、6年生

やたらと細い理科を教えてくれていた男の先生

父兄受けを狙う狡猾なタイプの教師では無かった


実は一年生の担任がそのタイプで

目立つ母親に取り入る魂胆で

吃音にされたことがある

時と共に自分が吃音では無かったこと

と、その教師の評判で

何が起こっていたのか

私にも察しがついた

という経験があったので

教師とは、距離があった


しかし、その教師には、

ぼーとしているのに

良く見られてる印象があった

一目置いていた

後で知った話だが

クラスの人間関係を組織図にかける教師だった


その人がボソッと

色盲の人が本当の色を見ているのかも知れ無い

と言った

その言葉が私の人生の底辺に流れる

スタンダードは、大多数にすぎない

本当とは、別のこと

スタンダードに添うことは、効率的であっても

それが正しい、人類を幸せにすることとは、

限らない

疑い深い人生の始まりだった

そのことが私を幸せにしたとは、

思わない

疑う事を世の中が良しとしなかった時代にいた

しかし、今は、違う

世の中をうまく疑う必要がある時代だ

疑い続けたからわかる

時代の変遷だ

上から疑うなと強い圧力に共謀罪が使われたら

いっそう、民主主義がお題目になる

国民主権を守るために

平和を模索するために

疑う=本当を見極める力が

国民にこれほどまでに必要な時代は、ない

流行で右往左往する時代を

国民の力で終わらせる必要がある

本当のこと

いや、回り道をしても人々が幸せになれる

方法を見いだせる国民を生きるのだ