貧血と校長
読み聞かせのブログラムを作る時
http://kakioki.hatenablog.com/entry/2017/03/13/110000
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言いたい事、伝えたいこと
全てを話し言葉で書きまくる
それから、削ぎ落とす
思い切りバサバサいく
話が長い校長の朝礼、炎天下
話は、解らないうえ、
聞いている振りせねばならず
子供がバタバタ貧血で倒れていく光景を
私は、知っている
自己満足であり、虐待だと思っている
絶対にあの轍は踏まない
子供に失礼だと肝に銘じて
骨にする
5分の1ぐらいになる
そこから、組み換え、言葉足しをする
かけてみて、子供の反応で微調整を繰り返す
吟味がモノをゆう
削ぎ落として、骨と皮で丁度良い
子供は、不思議で自分に必要なところだけを
話していたかのように受け止める
私も、貧血校長の素質を十二分に持ち合わせて
いる 削ぎ落とさねば
でも不思議なのは、子供が倒れるのに
毎回、同じ事が繰り返された
子供は、
校長のマスターベ-セョンの道具じゃない
校長の話は、何も残っていない
カッコ悪い大人だった
今でも、思い出すと腹が立つ
あの時の教師達のプロ意識の低さに愕然とする
子供が学校での問題で自殺する
教師の世代間連鎖は、あの時の朝礼で
貧血をおこす、子供がひ弱いと
親に注意喚起した
1人2人では無かったのに
そこにも元凶の一端を見る
子供をバカにするな
前の世代の付けを何時まで
払い、払わせ続けるのか
いじめの処方箋は、どれだけ子供に伝わる
言葉を早い段階で投げかけられるかだ
学ぶとは変わることだ
オリンピックするのに
金がないと、教育に金をかけない国なのだ
ならば、心ある教師が学びを創造するしかない
教育亡国である
心ある教師の理性に頼むしかない
頼み入る