絵本の可能性

はせがわくん きらいや 長谷川集平

と出会うまで、

絵は言葉のイメージであり

言葉は、絵の説明だと思っていた

文学作品を読んでイメージを立ち上がらせるための

はじめの一歩だと、思っていた

だから絵は絵として味わい

美しい文章は、文章として

別々に味わう事が多かった

でも、この絵本の最後のページは、違った

衝撃だった


はせがわくんなんかきらいや
大だいだいだい
だあいきらい

という文章に

大嫌いと言っている、
男の子が責任感さえやどる顔で
同級生のべそをかいてバットを持った
はせがわくんをおぶって歩いてゆく絵なのだ

このページは、この絵で この文章でなければ

伝わらない

絵だけでも、文章だけでも駄目なのだ

新しい絵本の可能性を見た

この男の子の思いがせまってくる

年だろうか、このページには、泣かされる

このこ達の、前頭前葉は、強く豊かに

育まれているに違いない