私、神様産んじゃった?

我が子が帝王切開で、この世の人になって
はじめて対面した時
私、神様産んじゃったかと思った
喜怒哀楽が無いのだ

憧れさえする無の境地
あるとしたらこんな感じかなって

お腹がすけば泣きはするが
満足すれば無の境地

が心配は、いらなかった
私と同じタダの人だった
ああ、自我って芽生えるものなのだ

桶谷式の母乳マッサージのお陰で
痛い思いせずに乳児期を乗りきった

これほどまでに、必要とされたことが無い
上に、夜泣きで寝られなくても幸せだった

正しく魔法にかかっていた

父親は、そうは、いかないらしい
父親のスタートは、よちよち歩きでパパと呼びはじめる頃のようだ
後に、可愛さがやっとわかったと吐露した


私への魔法は、すでに解けてしまって
こんちくしょうめ、と我が子へ自我をぶっけもする

あの我が子への情熱は、今いずこ
あの可愛かった我が子は、今いずこ


それで良いのだ、私の人生じゃない
私の問題じゃない

親殺し、子殺し
のっぴきならない大切以上の存在ゆえだ

だがしかし、私の人生じゃない
私の問題じゃない


ミュージカルのミス サイゴンの中に

命をあげるよ

という歌がある

命もあげる 命もあげると歌い続け

最後の最後命をあげるよと終わる

アメリカへ我が子を送り出す支障になる
自分が死を選ぶ
という命をあげるよ、なのだ



我が子に人生を与えてやることは、
しない
我が子の人生が借りものになる

私が産んだ命以外は、親が与えてやれるものなど
本気になるまでの繋ぎかもしれないと、ふと思った