障害を持った子へのいじめ

我が子の幼稚園の時の親友が知的障害者だった
中学に入って同じクラスになった

我が子は、混乱した、
その子が言っていることが理解できない
話が一方的であの時みたいに会話が成立しないと
そうゆう、状況で我が子にその子が寄りかかるようにしむけられた
自分自身がしんどいのに、共感の糸口さえみつからない中で
距離を取りたい、と我が子は、言った

気が強い子だったので、
悪口、陰口がはじまった
クラスにいることが苦しくなった
いじめだ

支援クラスに移す気持ちは親御さんにはなかった

我が子も、朝起きられない日が続いた

担任に電話をかけた
あの子の知的障害を子供たちに伝えるべきだと
あの子の状況も、伝えないままに、
訳の分からない中
いじめはいけない、一辺倒では、
大人として卑怯だ、とまで言った

その子の状況が伝えられた
色々な先生が色々な角度で話して下さった
一時的にいじめは、止まった

学校は、もう一つの生活の場なのだ
無理が長続きするはずもない
一番大切なメッセージを伝えていなかったのだ
気づいていなかったかもしれない

あの子の状況を子供たちは、知っての上でのいじめだ
大人側に辛くも義はある

色々な先生が話しをして下さったなかに
いじめるぐらいなら、構うなというメッセージを出した先生がいらした
私なら別の言い方をするが
そっとしておいて上げて、というメッセージこそが
重要なのだ

その子を守り、その他の子供を守る方法なのだ

子供は、発展途上なのだ、マザーテレサのような人格を望むべきもない
我々大人でさえ、自分達との違いを理由に差別をするのだ

いつか理解できるかもしれない可能性を手放させては、いけない

理解できないあの子に対して
あがけば、いじめれば、
不自由な世の中へのアクセルを踏みこむことになる
子供たちには、不自由な世界は、似合わない

優生思想が蠢くなか
優生には、定義はない、
ことと次第によっては、拡大解釈も、可能なのだ
あのユダヤ人のように

クラスで
もし、先生に、あの子の気持ちを ことある事に
代弁してやれる力があれば

いじめた子供の気持ちを代弁してやることができたら
クラスの子供たちの気持ちを代弁してやることが出来たら
深い学びを提供出来たやもしれない

あの子をいじめない、
関わる力が無いのなら、
そっとしておく
それは、あの子だけの問題ではない
子供たちが生きる世の中の自由に関わる問題なのだ

ことなかれ主義の学校現場において
この学年の教師達は、慈悲があり、対応力もある
優秀な布陣だったのだ


陰口は、くすぶり続けた


教師は、積極的にあの子に声をかけたか、
子供に、仲良しろと言ったのだ
あの子の居場所を確保するために
大人の見識を身をもって示すために