親子の関係性で命を語る無惨

小学校の授業に、産まれた時のことを調べる授業があった、最後に、サプライズで親から子供宛の手紙が渡される

いかに、愛されて産まれてきた存在か、大切な命かを気がつかせる授業なのだが

痛ましい授業だった、
感動して、泣いている子供も確かにいた
しかし、隣には、渇いてやさぐれている子供がいる

出来ちゃつた結婚が言われて久しい

親子の関係で命を語っては、いけない
親子の関係で命を十把一絡げに語れる時代がはたしてあったのか
子供への慈悲がたりない

少し前、確かに間引きがあった
少し前、お国のためにと、息子を送り出した時代があった
高度成長の時代でさえ本来の作者の意図とは、別に
親は、なくとも子は、育つと
当時の父親の多くは、家庭を省みなかった
子供は、弱い、
大人のうっぷんは、弱いものに、向かう

心しなければならない

子供の弱さを担保する方法としても
貧富の差が大きくなる一方の現在
ベーシック インカムを
考える必要かある

ここを乗り切れば、人口減少が良きように、働くやもしれない

格差のない方法で子供が自らの命を引き受けて
生きていくことを、、動機付けるには
生半可な事では、出来ない、

どちらにしろ、民意の成熟が不可欠だ