愛国心と言う言葉への違和感

難民の姿をテレビでみるたびに
パスポートで日本国民であることを証明してもらっていることが有効であることに感謝をする
しみじみありがたいと思う

愛国心と言われても、もろ手をあげてとは、いかない

半藤一利の昭和史には、

盧溝橋事件、満州事変は、軍部、国家の意思
では、なく現場の暴走であったと
両指揮官とも、軍法裁判にかけられることなく
また、東京裁判においても裁かれることなく
戦後責任の重さを、さほど感じているようすもなく
天寿をまっとうしている

日本国民としての、先の対戦の総括ができていない
ことの証ではないか

被害者としての戦争の悲惨は、学校でも、体験談として聞いている
加害者でもある

しかし、学問としての、昭和史は、教育されることなく、半藤一利さんの昭和史まで、理解できる本にさえであえなかった

高校のとき、歴史の先生に

被害者の悲惨では、
戦争の回避には、繋がりません
本当の昭和史を次の世代に伝え学ばぶことこそが
深い民意を育てるのです
未来に生きる人間に失礼だ
といい放ったことがある
一教師には、酷だったか

自分に不利益をおよぼすニュースいがいは、
どんなに、大切なニュースでも、問題でも
現代史を知らないことを錦のみはたに、他人事になってしまう
このままでは、民意は、育たない

民意による合意の創造により
日本人にとって他人事ではない、国のありょうが
実感できたとき
お仕着せでは、ない愛国心が産声をあげるのだ

人の心は、一人だ
押し付けられた愛国心は、脆弱だ奇跡は産まない
愛国心をスローガンにするのは、
いまいじょうに、人々の思考を止めてしまう
そのことが次の戦争の引き金をひく
結末になることだけは、避けなければならない